ホーム > 褒賞・外国人留学生奨学金 > 令和3年度 褒賞受賞者
この度、令和3年度安田・阪本記念賞を受賞させていただくことになり、大変光栄に存じます。1954年に東京大学皮膚科学教室に入局以来夢中になって皮膚科道に邁進してきたことについて、リディアオリリー記念ピアス皮膚科学振興財団選考委員会様により高くご評価いただいたことを素直に喜び、栄えある賞を受けさせていただくこととしました。
受賞の理由について、財団小川秀興理事長様からのお手紙に以下の3点が触れられていました。
まずは、強皮症の基礎的研究・臨床的研究についてのご評価です。なかでも、厚労省強皮症研究班の主任研究者6年間務めたことと2007年に留学時代の恩師であるProfessor E Carwile LeRoyの追悼国際学会を東京にて開催したことです。これらは、日本の強皮症研究が世界のリーダー的立場にあり、なおかつその中心が今日なお皮膚科にあることを示しえたと思います。
次いで、日本皮膚科学会のアトピー性皮膚炎不適切治療健康被害実態調査委員会委員長などの職務で、日本の社会悪であった「アトピービジネス」に対する皮膚科医の戦いの先頭に立てたことです。自分の本職は強皮症だと思いつつも、目の前に苦しんでいるアトピー性皮膚炎の患者さんのために、何をすべきか、何を出来るかを考えた結果での活動でした。これらの活動の成果として、日常診療において極端にステロイド外用薬を怖がるか患者さんが減少したように思います。
最後に、後進の育成ですが、これについてはたまたま優秀な人たちと目指すべき道を共有できたのがすべてであり、後進の人たちにただただ感謝あるのみです。
最後に、令和2年3月に金沢大学皮膚科教授を定年退職し、残る人生はアカデミックな立場を離れて、臨床の現場で一皮膚科医として患者さん目線の皮膚科診療を今一度修行したいと考え、実践しております。
以上をもちまして、令和3年度安田・阪本賞の受賞の言葉とさせていただきます。
1979年 | 東京大学医学部医学科卒業 |
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1979年 | 東京大学医学部皮膚科学教室に入局 |
1980年 | 東京大学医学部付属病院皮膚科文部教官助手 |
1984年 | 米国サウスカロライナ医大リウマチ病教室研究員 |
1987年 | 東京大学医学部皮膚科講師 |
1994年 | 金沢大学医学部皮膚科学講座教授 |
2016年 | 金沢大学医薬保健研究域医学系皮膚分子病態学教授 (大学名称変更される) |
2020年 | 金沢大学医薬保健研究城皮膚分子病態学教授定年退職 |
私は1982年に、39歳の若さで主任教授に就任された小川秀興先生の医局員生第1号として、順天堂大学皮膚科に入局しました。翌年大学院に進みましたが、前東京医大皮膚科教授の坪井良治先生も本大学院に入学されました。
当時は小川先生が教授に就任されて間も無い頃でもあり、研究が当たり前の様に盛に行われておりました。私は主に水疱症の研究を行っておりました。一寸、早朝から夕方6時頃まで臨床業務を行い、その後終電が無くなる時間まで研究を行うことが日常でありました。夜8時前後には食事当番が各人に電話で店屋物の注文を聞いて、8時半ころから小川教授を交えて短時間食事をすることも日課でした。直ぐ上の学年には山田裕道先生、内藤勝一先生、3-5学年上には真鍋 求先生、吉池高志先生、そして森岡眞二先生や岩原邦夫先生たちがいらっしゃって、またその数年前に高森健二先生も生化学教室から皮膚科学に転身され、それはそれは活気に溢れた医局・研究室でした。日常の医局・研究室での活動が「合宿」、学会発表で出張することが「遠征」とも呼ばれた非常に密度の濃い時代でした。この時代に、器官・細胞培養、免疫染色、免疫電顕、自己抗体精製とFITC化、FACSなどの細胞生物学的手法を習得しました。
真鍋・坪井両先生が留学から帰国された後、1991年初から1993年末までUniversity of California at San Francisco皮膚科(Ervin H. Epstein, Jr教授)に留学させて戴き、分子遺伝学の基礎と応用を学びました。
帰国後も小川先生に許可を戴いて、Darier病やHailey-Hailey病のプロモーター解析や遺伝子発現などの研究を継続出来ました。またアトピー疾患研究センターにも在籍し、アトピー疾患の研究にも携わりました。2007年からは東海大学医科学研究所と円形脱毛症の遺伝子同定を試み、2020末にcchcr1のrisk variantが15%の円形脱毛症患者の原因であることを明らかに出来ました。それに加えて現在は、脂肪組織幹細胞中に表皮ケラチノサイトならびにメラノサイトの前駆細胞を同定し、それらを用いた皮膚・毛髪の再生法の開発に挑んでいます。
このように駆け出しのころから現在まで、小川理事長の御指導の下、研究を続けて参りましたことが本年の小川秀興賞受賞に至ったことは、何か運命的な印象を受けております。心から感謝申し上げます。
1982年 | 順天堂大学医学部卒業 |
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1982年 | 医師国家試験合格(医籍268055) |
1982年 | 順天堂大学医学部附属順天堂医院 皮膚科 臨床研修医 |
1983年 | 順天堂大学大学院皮膚科学 入学 |
1986年 | 日本皮膚科学会認定専門医 |
1987年 | 順天堂大学大学院皮膚科学卒業、医学博士 |
1987年 | 順天堂大学医学部皮膚科 助手 |
1990年 | 同 病棟医長 |
1993年 | 米国カルフォルニア大学サンフランシスコ校医学部皮膚科留学 (Postdoctoral Fellow) |
1995年 | 同 Research Associate Professor |
1995年 | 順天堂大学医学部皮膚科 臨床講師 |
1995年 | 同 外来医長 |
1998年 | 同 講座講師 |
2002年 | 同 助教授 |
2004年 | 同 主任教授 |
2006年 | 順天堂大学大学院医学研究科皮膚科学アレルギー学 教授(併任) 同 アトピー疾患研究センター副所長 |
1993年 | 平成5年度上原記念財団リサーチフェローシップ |
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1993年 | Dermatology Foundation (米国) Research Fellowship |
2000年 | 日本皮膚科学会基礎医学助成(資生堂賞) |
この度は皮膚科医にとって大変名誉な賞である清寺眞記念賞を受賞することができ、とても光栄で身に余る思いです。選考してくださった方々、リディアオリリー記念ピアス皮膚科学振興財団の方々、並びに関係された皆様に深く感謝申し上げます。
私は1979年に東京医科歯科大学を卒業し、すぐに同皮膚科に入局しました。光線グループに属し、光線過敏症や正常人の紫外線感受性について研究・臨床に従事しました。後者の研究では紫外線照射後の紅斑(erythema) と色素沈着(immediate tanningとdelayed tanning) を分析・評価し、日本人のスキンタイプ分類としてまとめ学位を取得しました。その後、防衛医大、帝京大市原病院、近畿大で勤務しました。防衛医大では東京医科歯科大学での2つの研究をさらに拡大しました。それに加えて表皮の生化学分野において、長崎大の原 研治先生、順天堂大の木南 英紀先生との共同研究でカテプシン群酵素の精製や機能の解析を行いました。帝京大市原病院では松尾 聿朗先生にご指導を賜り、紫外線照射後の活性酸素の発生とそれによる脂質の酸化を用いてキノロン系抗菌薬の光毒性を研究しました。同時に薬剤性光線過敏症とポルフィリン症の臨床研究に着手しました。ビタミンB6の光線過敏症においては低アルカリフォスファターゼ血症によるビタミンB6の代謝異常が光線過敏の原因であることを明らかにしました。近畿大では手塚先生にレーザー治療を教えていただきました。さらに紫外線療法とポルフィリン症の研究を進めました。2009年~2011年にかけて厚生労働科学研究費補助金難治性疾患克服研究事業の1つの「遺伝性ポルフィリン症の全国疫学調査ならびに診断・治療法の開発に関する研究」の班員及び代表者を務め、ポルフィリン症の診療ガイドライン案の作成に関わりました。それに加えて茨城大の高原 英成先生と蛋白質アルギニン脱イミノ化酵素の解析の共同研究をしました。このように42年間にわたって光皮膚科学を中心に携わってきた中で本賞を受賞できたことは、望外の喜びです。
東京医科歯科大学の当時の光線グループでは佐藤 吉昭先生をトップに、入交 敏勝先生、御藤良 裕先生、小林 美咲先生にご指導いただきました。清寺先生は1966年~1969年に東京医科歯科大学の皮膚科の教授になられていました。その頃に光線グループが発足したと聞いております。私は残念ながら清寺先生から直接の指導を賜ることはかないませんでしたが、佐藤 吉昭先生や入交 敏勝先生のご指導を通じて間接的に清寺先生から薫陶を受けたのではないかと思っています。その私が清寺眞記念賞を受賞できたことは、東京医科歯科大学の光線グループにとっても大きな名誉であると思います。また私のみで上記の研究ができたわけではありません。4つの大学において一緒に研究をしてきた方々との共同作業の結果であり、皆様に感謝申し上げます。
今後日本の光皮膚科学の分野において多くの若手研究者が輩出し、活躍していただくことを祈念し、受賞のご挨拶とさせていただきます。
1979年 | 東京医科歯科大学医学部卒業 |
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1979年 | 東京医科歯科大学医学部 医員研修医(皮膚科) |
1980年 | 東京医科歯科大学医学部 文部教官助手(皮膚科) |
1981年 | 中野総合病院 医師(皮膚科) |
1983年 | 東京医科歯科大学医学部 文部教官助手(皮膚科) |
1987年 | 総合病院取手協同病院 医師(皮膚科) |
1988年 | 防衛医科大学校 講師(皮膚科) |
1990年 | カリフォルニア大学サンフランシスコ校皮膚科Visiting Associate |
1997年 | 帝京大学医学部附属市原病院 助教授(皮膚科) |
1999年 | 近畿大学医学部 助教授(皮膚科) |
2004年 | 近畿大学医学部主任教授(皮膚科) |
2012年 | 近畿大学附属看護専門学校 校長(2020年3月まで) |
2012年 | 近畿大学 評議員(2020年3月まで) |
2021年 | 近畿大学医学部皮膚科学講座主任教授定年退職 |
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